2013/03/14

こどもの偏食、について

「おべんと おべんと うれしいな~
なんでも よく食べ よくかんで~
みんな そろって ごあいさつ、いただきます!」

私が幼稚園児の頃、
お弁当を食べるときにみんなで歌っていた
いただきますソングです。

この歌のように、
なんでもよく食べよくかむ子どもが
はたしてどのくらいいるかは分かりませんが、
子どもの好き嫌いを気に病む親はかなり多いよう。
私も数年前までは、
実際そういう母親のひとりでした。

先日、料理研究家のコウケンテツさんと
ある雑誌の企画打ち合わせをしていたときのこと。

読者からの子どもの偏食についての悩みにコウさんが応える、
というコーナーがあり、
たくさんの親からのアンケートに書かれた悩みを読みました。


にんじんがきらい、
ピーマンがきらい、
ねぎがきらい、
葉野菜がきらい、
細かくした野菜もめざとく見つけて絶対食べてくれない、
とにかく野菜がいっさいダメ。

たくさんのアンケートからは、
書いているお母さんたちの溜息が一斉に聞こえてくるようです。

多少の好き嫌いは仕方がない、
と割り切れるおおらかな母親はいいんです。
やっぱり気になってしまってつい……と、頑張ってしまう母親は多いもの。
だって、できれば好き嫌いはない方が栄養的にも良さそうだし、
いろいろなものを食べられた方が、
その子どもにとって、プラスになる気がする。
何より、一生懸命作った料理にひと口も手をつけないなんて
母さんも悲しい。
そんな思いから、
やっぱり好き嫌いはなくしてあげたい、と思うんだと思います。
親とはそういう、気にしすぎるぐらい
子どものことをあれこれ考えてしまうものだと思います。

私の育児の指標かつ、心の拠り所としている本に、
医学者・特に子どもの医学に精通されていた松田道雄先生の書いた
「育児の百科」(岩波文庫)という本があります。
1967年から版を重ね、今なお支持の高い育児書の大ベストセラーですが、
その下巻(1歳6カ月~6歳をカバー)の
「子どもの偏食」という項目の文章には、
親のつい焦ってしまう気持ちを、冷静かつ優しく諭す箇所があります。
とても納得のいく松田先生らしい言葉が並んでいるので、
悩んでいる方にはぜひ読んで欲しい。

以下抜粋します。

~子どもが偏食するのを、気ままをいうわるい子だときめつけるべきでない。
また、母親として子どものしつけをあやまったと、自分をとがめるべきでもない。
人間には、食物について好ききらいのある人の方がおおい。
ある特定の食べものがきらいだということは、おとなにとっては、あまり問題ではない。
玉ねぎのきらいな夫は、妻が玉ねぎ煮ても、食べずに残すだけだ。
玉ねぎのきらいな妻は、玉ねぎを煮ないだろう。
人間は、よそのめいわくにならぬかぎり、自分の好きなものを選んで生きていけばよい。
子どもにかぎって、食物の好ききらいが偏食などといって、とがめられねばならぬのは、なぜか。
これは母親の「栄養学」と、その道徳的信念による。
~うちの子は、なんでもいただきます、という近所の母親の言葉を信じているだけだ。

さらに抜粋。

~「偏食の矯正」に成功したという「美談」は、子どものきらいの程度がそれほどでもなかったか、
次第に成長して好みが変わったか、または、子どもが耐えがたきを耐えているかだ。
おおくの偏食の矯正は、子どもが食べられるようになったということを成功としている。
けれども、20年も30年もたってから調べると、その人間が自由意思で食べられるようになると、
もとにもどっている。

~人間は忍耐をまなぶべきである。
しかし、食事というような基礎的な生理でそれを訓練することは、賢明とはおもえない。
食事は、生きる楽しみとして、楽しくおいしく食べる方がいい。その方が消化もいい。

そして、食事においていちばん大切なことについて。

~子どもがよろこんで食べるものを与え、いつも楽しい話をしながら
親子で食卓にむかうようにすれば、ほかで親子がうまくいかないことがあっても、
食事の楽しみのなかで忘れてしまう。
家庭は、人間がはだかで争うこともあるところだから、心のしこりをときほぐすクッションをいくつも用意すべきだ。


松田先生は、
いろいろ試みても野菜がダメなときは、
野菜のかわりに果汁を与えておけば、栄養上は差し支えない、ともおっしゃっています。

これを読んでからは、
食事とは、とにかくいろんな話を親子でしながら
楽しく過ごすことをいちばん大切なことと考えています。
あれ食べなさい、これ食べなさいは、
できるだけ(でもやっぱりときどき言っちゃうけど)言わないようにして。

ちなみに最近は4歳の娘に
「お母さん、同じものばっかり食べちゃダメだよ」と
注意されていたりもします。

晩酌のおつまみだから……とか、
そういう理屈は大人の言い訳。
したがって、ワイン、つまみ、おかず、ごはんのぐるぐる食べを
余儀なくさせられている母でした。